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フランキーの宇宙人

1957年、日活、キノトール原案、棚田吾郎脚本、菅井一郎監督作品。

▼▼▼▼▼最初にストーリーを書いていますので、ご注意ください!コメントはページ下です。▼▼▼▼▼

1947年6月24日、アメリカのアイダホ州で最初の空飛ぶ円盤が目撃されて以来、ヨーロッパ各国でも頻繁に円盤の発見例が続くようになる。

そんな時代のニッポンのお話。

木下博士(菅井一郎)の新発明、光波エネルギーで飛ぶ宇宙ロケットの実験が海岸で執り行なわれようとしていた。
夕陽新聞を始め、マスコミ各社も押し掛け、いよいよ、発射ボタンが押されるが、実験は見事に失敗。
予算の少なさを嘆く博士とその美しい娘愛子(高友子)であった。

一方、ここに一人の青年がいた。
名前は境田栄三(フランキー堺)、宇宙に異常な興味を抱いている煙突衛生夫(煙突掃除屋)である。
今日も友人二人が部屋で将棋をさしているのに、境田一人は物干台で望遠鏡から目を離さない。

やがて、緑色の円盤が出現、境田ははっきり見たと大騒ぎ。
友人達とドタバタやっている内に、屋根から煙突が転がり落ちてきて境田の頭に落っこちる…。

さて、東京上空に円盤出現との連絡を愛子から受けた夕陽新聞の安部(安部徹)だったが、編集長始め周りが全く相手にせず、結局、その円盤騒ぎは光線の屈折によるものだったと新聞に載ってしまう。

そのお詫びを兼ねて研究所を訪れていた安部は、同じく新聞記事を見てやってきて、自分も円盤を見たという境田と出会う。
木下博士は、見知らぬ境田の該博な宇宙知識に感心するのであった。
その後、一人車で帰宅する途中の安部自身も円盤を目撃する事になる。

しかも、着陸した宇宙船から降り立つ人間らしき姿もはっきり目撃。
思わず写真に撮ろうとした安部だが、はっきりしない人物の写真一枚を撮っただけで、円盤は姿を消してしまう。後には、灰皿くらいの大きさの謎の円盤のようなものが残されていた。

その日から、安部は写真を手がかりに全国の円盤目撃例を独自に調査しはじめる。

すると、円盤が目撃された仙台、東京、大阪、長崎の各都市に、同じような顔をした人物がいる事を突き止める。
怪し気な新興宗教の教祖、蘭木蘭平、フラメンコダンサーのフラメンコ坂木、中国人のフー・ラン・キー、そして、売れっ子ドラマーのフランキー堺であった。(演ずるは全てフランキー堺)

木下博士の説によると、彼らは人工衛星国からやってきた「人工衛星人」に違いないという。

さっそく、フランキー堺の所に取材に行った安部は、もう一人の同じような顔を持つ男、密一号(フランキー堺)と遭遇する事になる…。

 

▼▼▼▼▼個人的なコメントはここから下です。▼▼▼▼▼

作品冒頭でも語られているように、50年代の海外では円盤ブームがあったらしく何本もの宇宙映画、円盤映画が作られている。
日本でも、1956年に大映が「宇宙人東京に現わる」、本作が作られた1957年には、東宝で「地球防衛軍」、新東宝では「スーパー・ジャイアンツ」などが作られている。

本作は純粋なSFというよりも、SF風「社会風刺コメディ」ともいうべき内容なのだが、空飛ぶ円盤始め、SF風小道具や特撮はふんだんに登場しており、SFマニアが見ても十分見ごたえはある。

主人公達が地球以外の惑星へ行き、そこの様子が描かれるのは、日本映画では本作が最初ではないだろうか。
美術セットなどには、どことなく「宇宙水爆戦」(1955)や「禁断の惑星」(1956)などの影響がうかがえたりする。

一人の人間の細胞から、いくらでも同じ人間を作る事ができるなどと、今のクローン技術と同じような事をすでに説明しているのにも驚かされる。

しかし、この作品で何よりも驚かされるのは、劇中で披露される、ドラマーとしてのフランキー堺の本物のテクニックである。
どんな奇想天外な空想要素も、この本物の才能の前では色褪せてしまうのだ。

劇中ギャグは、永六輔らが担当しているのだが、喜劇としての完成度云々という前に、ただただ、フランキー堺の多才振りに驚かされる一編になっている。